全部合っていて怖い
「人が殺されました。」
優秀な刑事であり、友人として私の仕事を手伝ってくれるダニエルがノックもなしに飛び込んできた。安楽椅子に腰かけて新聞を読んでいた私は顔も上げずに返事をした。
「なるほど。君がそうやって慌てて私の所に来るときは、そうでない時に比べて事件発生時刻がここへ来る直前であることが多い。つまり君達警察が解決することの出来なかった事件の類ではなく、君に所縁のある人物が殺されたということだろう。私が今まで読んでいた新聞に掲載されていた記事から察するに、君の最終学歴でもあるN大学のY教授が行方不明になった件かな。だとするならば、残念だね。行方不明者が遺体で発見されたとしても事故や自殺など、君が殺されたと断言するのにはそれなりに条件があるからね。現場に金槌が落ちていて教授が頭から血を流していたとか、腹部にナイフが突き立てられていたとか。しかし、Y教授は確か人体に有害な毒物の研究者だったね。そう言った場合教授は毒物で殺されているケースが多い、物語の展開的に見て。だとするならば遺体には外傷はなく自殺の可能性が出てきてしまう。むしろ服毒自殺と断定されてもおかしくない。しかし、君は殺されたと真っ先に明言した。
なぜなら君は見ていたんだね、教授が自身の愛してやまない毒に悶え死にゆく様を。そう、君がY教授を殺した犯人だ。」
ダニエルは言った。
「全部合っていて怖い。」
よしなに。
ピカチュウ
ピカチュウの質問コーナー
質問:僕は生きる意味が分かりません。学校でもいじめられていて、友達もいません。(欲しいとも思いません)
孤独に生きて死ぬだけなのに、どうして僕は生きているのでしょうか。
ピカチュウの回答:結論から言うと、あなたは「生きる意味が分からない自分に酔っている」だけチュウ。
まず、あなたが生きる意味を見失う原因として挙げているいじめや人間関係の問題は、あなたの脳が無理矢理こじつけているだけのものであり、それらはあなたが生きる意味とは何一つ関係ありません。
わざわざ嫌な事を考えて、嫌な気持になっているだけでチュウ。
また、いずれ死んでしまうのにどうして生きているのか。と考えることは誰にでも起こり得ます。この心理の変化は、自分の存在意義や自分の正しさを疑うことでより正確な世界を認識しようとする言わば脳のアップデート行為です。自分自身の存在を否定せざるを得ないため、時としてネガティブな状態に陥るのですが、それらを繰り返すことで納得のいく正しさを見つけようとしているのです。チュウ。
そして、これらは自分が自分に対して行っているものであり、それらの葛藤を他者と共有する必要性は全くありません。「生きる意味が分からない」だとか「死んだ方がましだ」などといった思想を口にして他者と共有しようとした瞬間から、それらは本来の葛藤とは全くの別物である「自己承認欲求の発露」へ形を変えてしまっているのです。
あなたは、生きる意味を見失った自分を他者に見せつけることで、欲求不満を解消しようとする卑屈な人間であり、そんな自分に酔っているのです。
「生きる意味を見失った悲しき生き物」というブランドに魅力を感じているのはあなただけですので、格好つけるのは止めてウォーキングでもしてみては?
よしなにチュウ。
回文を作った
回文を沢山作ったので羅列します。
「四時っしょ」
(よじっしょ)
「バトルアニメにある賭場」
(ばとるあにめにあるとば)
「気軽に餅も煮るガキ」
(きがるにもちもにるがき)
「リプある時、紳士気取るアプリ」
(りぷあるとき しんしきどるあぷり)
「駿と僕大阪さ、大久保と親は?」
(はやおとぼくおおさかさ おおくぼとおやは)
「悔しい大工、タイル 板 杭 貸借」
(くやしいだいく たいる いた くい たいしやく)
「三月、顔馴染み『死』尚且つ癌さ」
(さんがつ かおなじみ し なおかつがんさ)
「メモに見えた『大馬鹿は太田恵美』に揉め」
(めもにみえた おおばかはおおたえみ にもめ)
「描いた目が無きその似顔絵、丘に。 覗き眺めたいか?」
(かいためがなきそのにがおえ おかに のぞきながめたいか)
よしなに。
ナナカマド
「変」とは相対的なものであり、大雑把に言って他の多数とは違う状態を指す。
例えば、街中で衣服を着ていないおじさんは変なおじさんである。しかし、他の人も衣服を着ていない銭湯では変なおじさんとは言えない。また、銭湯の中でも周りが衣服を着ていない女性であった場合、衣服を着ていないおじさんは変なおじさんである。
集合の中である程度以下の少数のみが「変」と見なされるのである。
さらに、なるべく多くの集合の中でなるべく少数でいることで、より変でいることが出来る。地方都市の閑散とした交差点を渡る20人程度の中で一人だけ衣服を着ていない状態より、スクランブル交差点を行き交う3000もの人々のど真ん中で衣服を着ていない状態の方が変なのである。
声(音)とは空気中を伝わる波である。波長が短いと声(音)は高くなり、長いと低くなる。そして、ヘリウムガスを吸うと(理屈は分からないけど)声が高くなる。つまり、波長が短くなるのである。しかも短くなる幅が一定なので、本来の声より少し高い声になると言う点では誰が吸っても変わりは無い。
我々はその声を「ヘリウムガスを吸った後のあの変な声」として共有している。
「ヘリウムガスを吸った後の声のあの感じ」
「元の声より少し高くて鼻にかかったようなあの感じ」
誰もが何となく一度は聞いたことのあるあの声のニュアンスは、我々の生活に広く浸透し概念化している。
だとするならば、その場にいる複数の人の中で一人だけがヘリウムガスを吸い声が高くなっていたとしても、その場にいる全員に「ヘリウムガスを吸い高くなった声」が共有されている時点で、集合の中で少数であっても変とは言えないのである。それは集合の数が増し希少性が上がっても変わらない。
1万分の1と言うと相当「変」なはずだが、満席の日本武道館の真ん中でヘリウムガスによる変声ショーを行ったらエラい目に遭う。それはそれで別の意味でとても変ではあるが。
「ヘリウムガスによる声の波長の変化は我々日本人という集合の中では変とは言えない」
だからもう二度と、テレビでモデルやらアイドルやら芸人やら声優やらにヘリウムガス吸わせるミニコーナーを設けないでほしい。
もう二度と、陽キャどものウェイウェイパーティーで誰かがドンキで買ってきた「変声カン メガジャンボ11.6ℓ」でひと盛り上がりしないでほしい。
そう願って生きてきた。
しかし、忘れもしないあの日。私の娘は、ヘリウムガスで無駄にヒートアップした陽キャどもの運転する車に轢かれてこの世を去った。そしてあろうことか奴等はその場から逃げ、今日の日までとうとう捕まることは無かった。だから、10年の歳月をかけて研究を重ね、ヘリウムガスで馬鹿みたいに笑ってる奴らを殺すウイルスを完成させた。
この日記を誰かが読む頃には私はもうこの世にはいない。しかし、私の死後もウイルスは地上を蹂躙し、低能な虫けらどもを一人残らず始末するだろう。
2028-8-16 ナナカマド
カフェ。
エクセルシオールカフェに入ってみたらいとも容易く死んでしまった話。
死因は明確である。
まず、冷房が強い。周りからの視線も冷たい。故に居心地が悪くなり、さっさと店を出ようとコーヒーをがぶ飲みする。すると、お腹が壊れる。心も壊れる。10分と持たなかった。すぐ死んだ。
以下は店内で泣きそうになりながら書いたメモである。
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企業系会社員からの、向けられていないが確かに感じる冷たい視線によって居心地の悪さ、肩身の狭さをひしひしと感じ、水をかけられたドライアイスのように煙となって消えて無くなりたいと思わさせられている。
社会的弱者を殺す絶対零度が今まさに、こちらに向けて放たれている。
ビルの一階に設けられたそのテリトリーにうっかりっ入ってしまったが最後、靭葛よろしく蠅こと私は溶かされて消える。
金も消える。コーヒーとサンドイッチとちっちゃなケーキで1400円だ。
大盛りチャレンジメニューを頼んで死ぬほど満腹になれる金額である。京極夏彦の文庫本買えるし、サイベックス郡山店で14時間もカラオケしていられる。
そもそも、あそこにいる奴らは何だ。カフェで仕事しやがって。
カフェで仕事するような奴らの「自分仕事できますよ」みたいな感じがムラムラと漏れ出てきて、それらが空調に乗って攪拌された空間に居心地の良さなんか求めても無理な話と言える。
奴らは、ちょいと変なメガネと色ワイシャツと MacBook Air というリーサルウェポンを3個も装備した特殊部隊だ。勝てっこない。
ドトール以外のカフェに悉く居心地の悪さを感じる劣等種族が武装兵の巣窟なんかにのこのこと入ってはいけなかったのだ。
ドライアイスの煙のように世間の下層をもぞもぞと蠢いている、そんな存在がこの世界の片隅でこんな文章を書いている間にも、どうせ奴らの MacBook Air はヌルヌル動作するし、レジュメは完成するし、プレゼンは成功するに決まっている。
あー。猛烈にお腹痛い。
よしなに。
ロバキャンに会う。
4月25日水曜日の出来事。
仕事を終えて駅まで歩く間、スマホのメディアプレイヤーで乃木坂46のプレイリストを再生する。「謎の落書き」が流れだす。
国分寺駅で乗り換えるために下車。しかし、自宅と逆方向へ行くホームに向かい電車を待つ。「他の星から」が流れている。
立川駅に到着。スマホを使い、近くにCDショップが無いか探す。徒歩5分圏内にそこそこ大きい店が見つかる。「羽根の記憶」が流れている。
店に入ると目立つ位置に目当てのCDが陳列されている。少し躊躇いつつ手に取りレジへ持っていく。店員にポイントカードの有無を聞かれるがそんなものは持っていない。
簡単な手続きで作れるらしい。面倒くさいが断れず、レジ横の一段低いテーブルに案内され登録の手続きをスマホで行う。店員に見守られながらスマホをポチポチして登録が完了し、無事購入。
店を出ると夜風が心地良い。店内でかいた汗が冷える。「裸足でsummer」が流れ始める。
達成感を噛みしめつつ自宅方面の電車に乗り込む。座席横の衝立にもたれていると、端の席に外国人が座った。「OVERTURE」が流れ出す。
外国人の顔に見覚えがある。「OVERTURE」がいい感じに盛り上がりだす。
こいつ、ロバート・キャンベルだっっっっっ!!!!
4月25日発売「シンクロニシティ」が流れだしてテンションがあがったので、久しぶりにブログを書く。よしなに。
三角コーナーのコーナー
健康診断の結果が出ました。
分かり切っていましたが肥満体と診断されました。
いつから太っていたのかは覚えていません。えらい昔から着々と肥満児として育ってきたので、「痩せてる状態」についての記憶、経験、知識を持っていません。痩せようと思ったことは無いに等しいと言えます。
仕事を始めたら痩せるかなー。なんて軽く考えてはいましたが、社会はそこまで甘くありませんでした。新人でよく食べる私を先輩方は連日、大盛りの店、おかわり自由の店に連れていき、私は期待に応えようと毎日たらふく食う生活が続きました。太りました。肥満体と診断されました。
何かしら改善策を講じようかと思い、夕食後に出かけることにしました。が、長年インドアな生活を送っているせいで出かけるべき場所が分かりません。悩んだ結果、とりあえずTSUTAYAに行くことにしました。本と映画が好きなので、とりあえず行けば時間の許す限り楽しめます。
一階、書籍コーナーのサブカル臭が強い一角で無数のタイトルを眺めている時にふと、少し前に読んだネットの記事を思い出しました。その記事は「涼宮ハルヒのアニメにおいて行われたエンドレスエイトという試みについて書かれた本について書かれているもの」で、その本を読んだライターさんが受けた衝撃を本の内容に絡めて生き生きと書いていたので、私もその本が読みたくなった覚えがありました。なので、その瞬間からエンドレスエイトの文字を無数のタイトルの中から探すことにしました。しかし、いくら探しても見つからないので井上陽水とダンスを踊って、手ぶらで帰ってきました。
ブログにでも書こうかなと思い、TSUTAYAの帰り道にメモった内容を文字に起こしてみましたが、一つも面白くない生ごみみたいな文章に仕上がったので、もれなく三角コーナーに捨てて寝ます。よしなに。