富士田の出力先

見聞きしたモノの感想などを書きます。

ナナカマド

「変」とは相対的なものであり、大雑把に言って他の多数とは違う状態を指す。

例えば、街中で衣服を着ていないおじさんは変なおじさんである。しかし、他の人も衣服を着ていない銭湯では変なおじさんとは言えない。また、銭湯の中でも周りが衣服を着ていない女性であった場合、衣服を着ていないおじさんは変なおじさんである。

集合の中である程度以下の少数のみが「変」と見なされるのである。

さらに、なるべく多くの集合の中でなるべく少数でいることで、より変でいることが出来る。地方都市の閑散とした交差点を渡る20人程度の中で一人だけ衣服を着ていない状態より、スクランブル交差点を行き交う3000もの人々のど真ん中で衣服を着ていない状態の方が変なのである。

 

声(音)とは空気中を伝わる波である。波長が短いと声(音)は高くなり、長いと低くなる。そして、ヘリウムガスを吸うと(理屈は分からないけど)声が高くなる。つまり、波長が短くなるのである。しかも短くなる幅が一定なので、本来の声より少し高い声になると言う点では誰が吸っても変わりは無い。

我々はその声を「ヘリウムガスを吸った後のあの変な声」として共有している。

 

 

 

「ヘリウムガスを吸った後の声のあの感じ」

「元の声より少し高くて鼻にかかったようなあの感じ」

誰もが何となく一度は聞いたことのあるあの声のニュアンスは、我々の生活に広く浸透し概念化している。

だとするならば、その場にいる複数の人の中で一人だけがヘリウムガスを吸い声が高くなっていたとしても、その場にいる全員に「ヘリウムガスを吸い高くなった声」が共有されている時点で、集合の中で少数であっても変とは言えないのである。それは集合の数が増し希少性が上がっても変わらない。

1万分の1と言うと相当「変」なはずだが、満席の日本武道館の真ん中でヘリウムガスによる変声ショーを行ったらエラい目に遭う。それはそれで別の意味でとても変ではあるが。

 

「ヘリウムガスによる声の波長の変化は我々日本人という集合の中では変とは言えない」

 

だからもう二度と、テレビでモデルやらアイドルやら芸人やら声優やらにヘリウムガス吸わせるミニコーナーを設けないでほしい。

もう二度と、陽キャどものウェイウェイパーティーで誰かがドンキで買ってきた「変声カン  メガジャンボ11.6ℓ」でひと盛り上がりしないでほしい。

そう願って生きてきた。

しかし、忘れもしないあの日。私の娘は、ヘリウムガスで無駄にヒートアップした陽キャどもの運転する車に轢かれてこの世を去った。そしてあろうことか奴等はその場から逃げ、今日の日までとうとう捕まることは無かった。だから、10年の歳月をかけて研究を重ね、ヘリウムガスで馬鹿みたいに笑ってる奴らを殺すウイルスを完成させた。

この日記を誰かが読む頃には私はもうこの世にはいない。しかし、私の死後もウイルスは地上を蹂躙し、低能な虫けらどもを一人残らず始末するだろう。

 

2028-8-16 ナナカマド